Friday, July 18, 2008

コピペ

聖火リレー、行ってきました。 まず皆さんにお願い。 この日記を転載、リンクして頂いてかまいません。

4/26日を振り返ります。

早朝、善光寺へ向かった。 Mちん、Tさん、F君、Yちゃんと5人で。

町には何台もの大型バスが乗り入れ、中国人が降りてくる。 僕らがそれぞれ旗を作り、プラカードを作り、前日からカラオケボックスで寝ていたのに対し、 彼らは中国大使館から支給された巨大な旗と、チャーターバスで堂々登場した。

善光寺参拝が終わり、街中へ。 とりあえず聖火リレー出発地点へ向かった。 ここで日本とは思えない景色を目にした。

出発地点に、中国の旗を持った人は入場できるが、チベットの旗を持った人は入れない。 警察の言い分。 「危険だから」 じゃあ、何で中国人はいいんだ? 「......ご協力お願いします。」

は? それやらせじゃん。 中国国旗しかない沿道って、警察が作ってるんじゃん。

この後TBSの取材が来た。 チベットサポーターの1人が、 「日中記者交換協定があるから映せないのか?」とアナウンサーに聞いた。 アナウンサーは「は?勝手に叫んでれば?」 と吐き捨てて消えた。

街中に行くとどこに行ってもFREETIBETと叫んでいる。 そこに中国人が押し寄せ、罵声を浴びせてくる。

交差点で中国人と僕らが入り乱れた。 突然Mちゃんが顔面を殴られた。 僕は殴った中国人のババアを捕まえて、目の前の警察に言った。 「こいつ殴ったぞ!!」 警察は何もしなかった。

ババアが俺の手を噛んだ。手から血が出た。 警察と目が合った。 警察は何もしなかった。

ババアが僕の顔面を殴ってきた。 周りのチベットーサポーターが、 「おい、警察、現行犯だろ、捕まえろよ!!!!」 と言ったのに、 警察は何もしなかった。

これが抗議活動中じゃなかったら、普通にブチ切れて乱闘になってる。 でも非暴力を貫く為、ひたすら耐えた。

Mちゃんが1日かけて一生懸命書いたプラカードを、 中国人が叩き落とした。 拾おうとするMちゃん。踏みつける中国人。 「おい、てめー何やってんだよ!」と制止に入った。 2mくらいの距離に警察がいたが、何もしなかった。

街中いたるところで抗議合戦。 救急車が来たり大騒ぎ。 僕らはひたすら抗議活動をした。

雨が降ってきた。 それでも誰も抗議を辞めなかった。 中国人がかたまってる交差点を、 Tさんと旗を振りながら渡った。 沿道の中国人は蹴りを入れてくる。 とても沿道に入れず、車道を歩いていた。 警察が来て言った。 「早く沿道に入りなさい!!」 は?今入ったらボコられるじゃん。 なんで日本人の安全を守ってくれないの? 「じゃあ、あいつらに蹴りいれるの辞めさせろよ!!」と僕は叫んだ。 警察は「ご協力お願いします」と言った。

雨の中、聖火リレーのゴール地点へ向かった。 何故か中国人とチベットサポーターに分けられた。 警察は、「後で聖火の方に誘導するから。」と言った。 嘘だった。 ゴールの公園の外の何も無いスペースにチベットサポーターは閉じ込められた。 聖火なんか、どこにもなかった。 目の前には警察が何十人も取り囲んでいた。 こんな場所じゃ、声すら届かない。 数百人のチベットサポーターは、泣きながら警察に向かって叫ぶだけだった。 国境無き記者団もこちら側に来させられていた。 代表がマスコミのインタビューに答えていた。

聖火リレーがいつ終わったのかも分からないまま、 土砂降りの中僕らは叫び続けた。 この声を、伝えることすら出来ないのかと思ったら涙が溢れてきた。 MちゃんもF君も泣いていた。 こんなのってあんまりだ。 せめて伝えて欲しいだけなのに。 この叫びを聞いていたのは目の前に並んだ警察だけだった。

チベット人の代表が弾圧の現状を訴えた。 涙が止まらなかった。 内モンゴルの代表が弾圧の現状を訴えた。 涙がとまらなかった。

伝えたい。ただ伝えたいだけなのに、国家権力によって封殺された。 悔しい。悔しい。

日本は最低な国だ。 平和だ、人権だと騒ぐ割には、 中国の圧力に負けて平気でこういう事をする。 警察を使って。

帰りに携帯でニュースを見た。 「聖火リレーは無事終了。沿道は大歓迎ムード。」 「聖火リレーで日本人5人逮捕。中国人留学生に怪我。」

僕は愕然とした。 この国のマスコミは終わったと感じた。

あの怒号は、 僕らが受けた痛みは、 彼らの悲痛な叫びは、 どこに反映されたのだろう。

警察によって意図的に中国人のみの沿道を作り、 そこをマスコミは撮影し、 中国人の暴力を黙認して、日本人を逮捕する。 これが日本のやることか? ここは本当に日本なのか? 中国の旗を持たないと歩けない沿道って何なんだ?

この国は最低な国です。 チベット人は泣きながらありがとうと言っていたけれど、 僕は彼らに謝りたかった。 初めて日本人であることを恥じた。

帰り道、僕らは泣いた。


これが真実です。 僕は日本政府は中国以下だと思った。 弾圧にNOを言えずに、言いなりになって彼らの叫びを封殺したこの国は、もう民主主義国家ではない。

4/26日長野。 そこには言論の自由はなかった。 歩行の自由すらなかった。 中国人を除いて。